はじめに
元プロレスラーであり参院議員も務めたアントニオ猪木さんが
亡くなりました。79歳でした。
病と闘っている姿をYou Tubeで拝見していて、
元気な姿で復帰してもらいたいと思っていたのにとても残念です。
ご冥福をお祈りします。
子供の頃、金曜よる8時(ワールドプロレスリング)はもっともワクワクする時間でした。
あの頃はプロレス最強説を信じていました.
異種格闘技戦 世紀の凡戦?猪木VSモハメド・アリ
この記事は私の個人的な見解と感想を述べていくので
事実と違うかもしれませんことをご了承ください。
1976年、アントニオ猪木はプロレスこそ最強の格闘技だとして異種格闘技戦シリーズを
始めました。
まずはミュンヘンオリンピック柔道金メダルのウィレム・ルスカ戦
細かい試合内容は覚えていませんが、最後バックドロップの連発で圧勝しました。
プロレスすげぇ、猪木強えと戦慄を覚えました。
これが異種格闘技戦シリーズの始まりです。
そしてボクシング世界チャンピオンモハメド・アリとの対戦までこぎつけました。
プロレス対ボクシングの対決。それが本当に実現しました。
ただこの試合。世紀の凡戦と批評されてしまいましたね。
アリ側がルール面であれやこれやと制限を付けてきて
まともな試合はできないルールになっていたと記憶しています。
この試合はテレビで生中継されました。
私も見てました。
試合内容ですが、猪木が寝そべった状態になり、アリの足を攻撃していく展開が
永遠に繰り返されました。
アリは猪木の攻撃を飛び上がったり逃げたりしながら
なんとか交わしていた感じでした。
これが15Rずっと繰り返されたと記憶しています。
結果はドローで引き分けで終了しました。
どんな試合になるんだろうと期待に胸を膨らませながら見ていましたが、
なんともいえない気持ちになりましたね。
この試合の感想は人によって意見が別れました。
これぞ真剣勝負だと言っていた人もいましたね。
私としては勝つにしろ負けるにしろ白黒つける
試合を望んでいたので、少しがっかりしました。
猪木の異種格闘技戦はまだ続きます。
熊殺しウイリー・ウイリアムス対アントニオ猪木
異種格闘技戦のラストが極真空手ウイリー・ウイリアムスとの対戦。
なぜ両者が戦うことになったのか。
簡単にいうと極真空手とプロレス、どっちが最強か決めようという話。
プロモートしたのは梶原一騎と黒崎健時氏。
でこの試合の結果は両者リングアウトでドロー。
両者の顔を立てるためにはこれしか落とし所がなかったと
どこかの雑誌か本で読んだ記憶があります。
ということはこの試合はブックだっということですね。
私も見てましたがなんかゴチャゴチャした試合で
まともにやりあった感じはしなかったですね。
これがブックではなく真剣勝負だったら・・・
どっちが勝っていたのか・・・
この時のウイリー、めちゃ強いイメージがあります。
第2回全世界空手道選手権大会で圧倒的な強さを
見せつけていました。
準々決勝の佐藤俊和戦。
ものすごい突きの連打であの猛将佐藤俊和が
戦意喪失してしまうほどの強さでした。
そして準決勝は三瓶啓二との一戦。
なんと道着を引きずり回しての謎の反則負け。
外国人に優勝させてはまずいという力が働いたとかどうとか。
そんな話を雑誌か本で読んだ記憶があります。
私もこの時武道館の3階席から観戦していました。
ウイリーが反則負けした時点で決勝には興味がなくなり
武道館を後にしました。
とにかくこの時のウイリーは本当に強いと思いました。
準決勝戦の三瓶啓二、決勝戦の中村誠との真剣勝負が本当に見たかったです。
ウイリー戦後は異種格闘技戦は終わりましたね。
猪木の延髄斬りってこの頃にできたんでしたっけ。
飛び回し蹴りで相手の延髄を蹴る必殺技でしたね。
政治家アントニオ猪木
アントニオ猪木さん、政治家としても活躍していましたね。
スポーツによる平和外交を愚直に実践されていたと思います。
北朝鮮に何回も渡航したのは何で?でしたが
拉致問題の解決に向けても活動されていたと思います。
さいごに
アントニオ猪木、私にとっては永遠のヒーローであり
格闘家でありプロレスラーです。
元気があれば何でもできる。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。